倉庫52:観光だって東北支援ツアー

  4月以来、ボランティアで何回も東日本大震災の被災地を訪れていますが、今回はちょっと趣向を変えて、客足がなかなか戻らない「観光地」を巡ってみました。これも東北応援の一環ですが、そう肩肘張らず、単純に「観光旅行」をしてきた、ということで。
  まずやって来たのは、比較的被害が小さかった、松島。高台の上にあって津波の被害を受けなかったホテル「絶景の館」に泊まり、少し街を歩きます。このホテル、津波の被害はありませんでしたが、地震で駐車場の壁が倒壊したり、建物の壁にヒビが入ったりしていて、まだ復旧作業中でした。ちょうど社長さんがフロントにいたので話を聞いてみたのですが、復旧費用は2000万を超える見込みとか。私が泊まったところで雀の涙ほどの応援にしかならないかもしれませんが、その積み重ねが大きな力になってくれると信じたいです。
  夕食までまだ時間があったので、ホテルから歩いて5分ほどの福浦島に行ってみることにしました。この人道橋、津波に耐えたんですね。松島では津波の高さが1.5mほどだったそうで、観光名所の多くはその機能を失わずに済んでいます。しかしそれでも、海っぺりの遊歩道などは損傷が激しく、雄島に渡る橋は崩落(?)のため通行止めになっています。福浦橋が助かったのは奇跡的と言えるかも。
  ちなみにこの橋、昼間(17時まで)は有料(200円)。時間的に微妙でしたが、ここで200円払うのも応援のうちと思い、むしろ急いで17時に間に合わせました。
  島内の散策路などは、基本的に無傷。立入禁止エリアなども特にありません。展望所からも、小さな無数の島々が浮かぶ松島の名観を堪能できます。しかし、裏の方(外洋側)に回ってみると、流木やガレキがたくさん打ち揚げられていました。一部、浜辺まで降りられるようになっているところがありますが、そこでは小さな船や高圧ガスのボンベなども転がっていました。目につきやすい場所は綺麗に片づけたのだと思いますが、こうして裏の顔を見てしまうと、1.5mでも相当な恐怖だったのだろうと思います。
  宿に戻り、まずは温泉。この宿は、松島では珍しい天然温泉、しかも福浦島を望める露天風呂付き。部屋からの福浦島の眺めも素晴らしく、「絶景の館」の看板に偽りありません。山側の部屋が少し安い設定になっていますが、ここに泊まるのなら、絶対に海側の部屋がオススメです。
  さて、夕食。カニあり、牛タンあり、フカヒレありの、なかなか豪華な膳。写真に写っている以外に、天ぷら盛り合わせと汁物、ご飯がつきます。ボリューム感も、なかなか。
  中でも私が個人的に気に入ったのは、牛タンのホウロク焼き。鉄板で焼くのではなく、要するに石焼きにします。鉄臭さが移らないのと、余計な脂が落ちてサッパリ食べられるのが特徴でしょうか。これがとにかく美味かった! 比較的安い宿泊プランだった(2食付き11500円)し、被災地では食材も満足に手に入らないかもしれないという思いもあって、食事がショボいのではないかと心配していたのですが、とんでもない! ご飯もビールも進んで、満足な夜を過ごすことができました。
  翌朝は、朝食前にフラッと散歩に出かけます。松島といえば、コレ。五大堂です。五大堂は古い木造建築だし、海に迫り出した場所に立っているので、万が一波を被れば流失は免れなかったところですが、幸いにも波はここまで届かなかったようです。建物は、無事。参道の橋も、問題なく通行できます。ただ、なんとなく見た目に寂しいなと思っていたら……
  灯籠がすべて倒れてしまっていました。五大堂前には灯籠が全部で4基あって、そのうちの2基はかなり古いもので歴史的価値も高かったのではないかと思います。それだけに、こうして脇っちょにガラクタのように放置されているのはどうなのか……。早く修復してほしいものです。
  続いて、国道を渡って、瑞巌寺へ。国道沿いには土産物店などが並んでいますが、一部、ブルーシートで覆われていて休業している店もありますが、営業を再開している店の方が多いです。
  瑞巌寺は、朝早かったため境内には入れなかったのですが、門前の洞窟群を見てきました。写真を見れば一目瞭然、崖崩れが起きています。この先、余震や大雨などで、二次・三次被害が出そうな崩れ方。この洞窟群も、個人的には世界遺産クラスの史跡だと思っているので、一刻も早い修復を祈ります。
  宿に戻り、朝食を済ませ、朝風呂で汗を流して、10時ギリギリまでウダウダしてからチェックアウト。どうも貧乏症でいけない。カプホとか健康ランドだったら早発ちできるけど、居心地の良い宿に泊まるとどうしても出発が遅くなってしまう。
  この日まず向かったのは、道の駅「大谷海岸」。本吉でボランティア活動をした5月にも訪れているのですが、その後どうなったかなと気になりまして。
  いやぁ、この2カ月ですごく綺麗になりました。ガレキの撤去は、ほぼ完了。ズタズタになった線路も撤去され、重機がたくさん入って整地作業をしていました。
  こちら、大谷海岸全景。道の駅の屋上から撮影。道の駅の建物内も、ガレキの撤去は完了。がらんどうの状態になっていました。建物はどうするんでしょうかね。解体なのか、リフォームで済むのか。そして、この海水浴場はいつ復活するのか。今年はまったく無理だとして、来年にはまた泳げるようになるのでしょうか。その頃にはJR気仙沼線も復旧しているのかな。マンボウアクアリウムの復活も、心から願います。
  岩手県を一気に縦断して、久慈市の健康ランド「古墳の湯」で一泊。夜中に大きめの余震があってビックリしましたが、山の上にある施設なので、ここにいれば津波を恐れる必要はありません。
  翌朝、JR久慈駅へ行き、駅そば「あじさい」で一杯いただきました。『劇場』にも載せた名物の「こはくそば」を、冷やしバージョンで。うん、変わらず美味い。ちなみに、久慈市も津波の被害があった街ですが、駅周辺までは達しなかったようで、この店も震災の1週間後に営業再開したそうです。まだ、列車(JR八戸線)は運休中なんですけどね……、駅前から代行バスが発着してるので、ひとまず駅としての機能は取り戻しているようです。三陸鉄道の駅舎内にある駅そば店も、営業を再開しています。こちらはさらに早く、震災の3日後に再開したとのこと。まだ物流も滞っていただろうにと考えると、涙が出てきますね。「営業する」というより、「復興に向かって進む」という感覚が強かったのではないでしょうか。落ち込んでいる住民も、店が営業再開したと聞けば、あるいは目にすれば、「よし、私も頑張ろう」という気持ちになると思うので。
  続いてやって来たのは、三陸リアス海岸のなかでも屈指の景勝地・北山崎。観光客の姿は決して多くなかった(というか、極めて少なかった)のですが、ちょうどテレビのロケ隊が来ていて、サッパ船の再開を報じていました。サッパ船というのは、この辺りでよく用いられている小型の漁船で、観光客を乗せて北山崎の断崖を巡るツアーが人気を呼んでいます。着実に、復興に向かって進んでいますね。
  展望台からの美観は、震災前とほとんど変わらぬ絶景でした。大きな崖崩れもなく、奇岩の崩落もなく、地震も津波も夢だったかのような、穏やかな景色を見せてくれました。
  少し南に位置する鵜の巣断崖でも、震災の影響はほとんど感じられない絶景を堪能できました。こちらは、北山崎以上に、観光客の姿がないですね。ほぼ、貸し切り状態でした。
  さらに南へ降り、浄土ヶ浜にやってきました。ここは、北山崎や鵜の巣断崖のような「崖上から眺める景勝地」ではなく、浜まで降りてナンボの名勝なので、津波被害を多く目にすることになります。
  まず、3つある駐車場のうち1つは、仮設住宅用地になっていました。観光客が多く訪れる場所に仮設住宅を建てるなんて、何を考えているんだか。見せ物じゃないんだから。
  メインの駐車場から浜へ降りる遊歩道は、通行止め。しばらく車道を歩き、展望台入口から中の浜へ降りるルートをとります。このルートでも、中の浜から奥の浜へ続く遊歩道が通行止めになっているのですが、偶然居合わせた地元の方が「100%自己責任ということなら、入っても大丈夫だよ」と教えてくれたので、ロープを跨いで先に進んでみました。
  途中に、こんなところがあります。遊歩道の路面が崩落。亀裂の幅は、成人男性なら問題なくまたげる程度ですが、女性のハイヒール履きやロングスカートとかは危ないかも。
  さらに、こんなところもあります。直径5mくらいあるでしょうか、大きな落石です。見上げると、今にも落ちてきそうな岩がたくさん迫り出しています。津波の圧力で崩れたのか、地震の揺れで崩れたのか分かりません(状態から考えて、おそらく余震で崩れたものと思われます)が、今頭上から落ちてきたらひとたまりもない、という状態。なるほど、このあたりが「自己責任で」ということなんですね。
  奥の浜のレストハウスは、どうやら建物の流失は免れたようです。しかし、窓ガラスがすべてベニヤでふさがれていました。もちろん、営業していません。
  周辺では、重機が入って、ズタズタになった道路のアスファルトを剥がす作業を進めていました。ちなみに、この場所まで路線バスが乗り入れているのですが、仮バス停が設置されていたので、運行を再開しているようです。観光客を受け入れる意志はあるようですね。あちこちで重機が作業している中なので、ちょっと危ないような気もするのですが。というか、観光客がたくさん来てしまうと、作業の邪魔になりそうな気が……。
  奥の浜の美しい眺めは、ご覧のとおり、激しく損傷してしまっています。浄土ヶ浜最大の特徴とも言える石浜、その丸石は、すべて引き波に浚われてしまっています。目下、重機が整地作業に当たっていますが、最終的にはどうするんでしょうかね。他の場所から丸石を持ってくるのかな。それだと、真の意味での「浄土ヶ浜の丸石」ではなくなってしまうわけで。いずれにしても、この先、私たちは「作り物の浄土ヶ浜」しか見ることができなくなってしまうのでしょう。寂しいことですが、観光客を呼び戻すためには他に選択肢がなかったのかもしれません。
  記念碑の類も、すべて倒れています。この写真では大きさが分かりにくいですが、どちらも、高さは5mほどあります。重さは、まぁ数トンのレベルでしょう。これが倒れてしまうのですから、津波が内包するパワーは想像を絶します。
  最後に、展望台からの奥の浜の眺めを。ここから、重機が入っている石浜の部分を切り取って眺めれば、震災前と変わらぬ美観を望めます。海は青く、穏やかで、何事もなかったかのようにすました表情を浮かべています。
  このような風景を眺めていると、つくづく、震災が夢だったらいいのにと思ってしまいます。時計を戻すことはできません(できたとしても、何の意味もないですね)が、この先、一歩一歩復興に向けて進んでいってほしいと思います。そのために、私も力一杯の「応援」をし続けます。


戻ります。